ある少年の光景3




 尾道に訪れたとき、少年は小学2年生で、
ひどく落ち込んでいた。大切な人を亡くした
すぐあとだったからだ。
 少年は「がんばろう」と決めていた。なん
だかよくわからないけれど、とにかくが
ばって生きていかなければならない。
 それでもやはり、少年は疲れていた。だか
ら転校先の学校では、彼は無口で暗い奴とし
て扱われた。



       ※

 新たに転入した学校には、少年とは別の転
校生がいた。少年よりもひと月ほど早く転入
していた彼――佐々木という男子生徒は、運
動神経がよく、勉強もできたから、少年が訪
れた時にはもうクラスの人気者だった。友
達も多く、彼の学校での生活は、満ち足りて
いるように少年にはみえた。
 でも佐々木には、ひとつだけ不思議な点が


あった。
 彼は絶対に、クラスメイトたちと一緒に下
校しようとはしなかった。休日に誘われても
いつも「いそがしい」と答えるばかりで、決
して一緒に遊ばなかった。
「どうしてそんなにいそがしいんだよ?」
 そう尋ねられると、彼はいつも、
「塾だ」
 とだけ答えた。
 それがひとつ目の嘘だと、少年はのちに


なって知る。

       ※

 間もなく、まるでオセロがぱたんと裏返る
ように、クラス内での佐々木の扱いが変わっ
た。たしかに佐々木はすごい奴だ。でも調子
に乗っていて、周りを見下していて、むかつ
く。それに勉強はできてもゲームやマンガの
知識がないから面白くない。


 
 同じ転校生でも、少年の方によってくるク
ラスメイトが増えた。少年にはそれが、なん
となく気持ち悪かった。
 だから少年は、佐々木に声をかけてみた。
「なあ、勉強でわからないところがあるん
だ。教えてくれよ」
 佐々木はそっけなく答える。
「先生にきけよ。オレは忙しい」
「ごめん、嘘だ」
 少年は笑う。


「友達になろうぜ。同じ転校生仲間だろ?」
 佐々木は顔をしかめる。
「なんだよそれ、嘘ついてんじゃねぇよ。オ
レは友達なんかいらないんだよ」
「どうして。いた方が楽しいぜ?」
「塾があるんだ」
「お前も嘘ついてんじゃねぇよ。毎日いかな
いといけない塾、どこにあるんだよ」
 佐々木はしばらく口をつぐんでいた。
 それから、ぼそりと言った。


「オレ、プロ野球選手になりたいんだよ。い
つも練習してるんだ。みんなみたいに、遊ん
でる暇ないんだ」
 少年は笑う。
「すげぇじゃん。今のうちにサインくれよ」
「嫌だよ」
「じゃ、オレも野球の練習にまぜてくれ」
「ふざけんな。オレは本気なんだ」
「オレも本気だぜ?」
「嘘つけ。不真面目な嘘つきなんていらねぇ


よ。このあとも、父さんと練習だ」
 佐々木は少年を突き飛ばして、駆け出す。
 笑顔をひっこめて少年は、そのあとを追い
かけた。

       ※

 佐々木が向かった先は、病院だった。
 その入り口で、彼は少年があとをつけてい
ることに気づいたようだった。


「なんだよお前。ホントにうざいな」
 少年は尋ねる。
「お前、どっか悪いの?」
「……違う」
「じゃ、お見舞いか?」
 佐々木はなにも答えなかった。
 少年は真面目な顔で、病院を見上げる。
「オレもさ、ちょっと前まで、よく病院に
いってたんだぜ」
「どうして?」


「母さんが、身体が弱くてさ。毎日、お見舞
いにいってた」
「……それで?」
「死んじゃった」
 少年は泣きそうだったけれど、泣かなかっ
た。最後に母さんは、少年に「がんばれ」と
言った。なにをどうがんばればいいのか、少
年にはわからなかったけれど、それでもがん
ばろうと決めていた。
 泣いたのは佐々木だった。


「オレのお母さんも、死んじゃうのかな」
 それは、わからない。
 少年は答える。
「大丈夫だよ」
 わからないし、泣きそうだし、なんだか心
細かった。でもがんばって答える。
「大丈夫だ。ついてきてゴメンな。オレ、帰
るよ」
 背を向けた少年に、泣き顔のまま佐々木が
叫ぶ。


「だれにも言うなよ」
 少年は振り返る。
 さらに、佐々木は叫んだ。
「マザコンだって馬鹿にされるから、ぜった
いに誰にも言わないでくれ」
 それも嘘だと、少年は知っていた。
 そんなことが問題なんじゃなくて。知られ
たくないのは、きっともっと、言葉にはでき
ない理由で。
 少年は頷く。


「わかったよ。友達同士の約束だ」
「うるせぇ。友達なんて、いらないんだ」
 佐々木はオレと同じだ、と少年は思った。

       ※

 しばらくして、少年は佐々木の母親が亡く
なったことを知った。
 彼はそれからも、つき合いが悪いままだっ
た。クラスメイトたちも、彼にどう接してい


いのかわからないようで、それまでよりも溝
が深まったようにみえた。
 ある日の放課後、黙々と壁に向かってボー
ルを投げる佐々木を、少年はみつける。彼を
探していたのだ。
 ――プロ野球選手になりたいっていうのは
嘘じゃなかったのか。
 少年は彼に声をかける。
「よう、メジャーリーガー」
 佐々木はこちらを振り向いて、呆れた風に


顔をしかめた。
「メジャーリーガーとまでは言ってない」
「オレも混ぜてくれよ」
「レベルが違うんだ。帰れ」
 少年は壁にたて掛けてあったバットを手に
取る。
打たれるのが怖いのか、ノーコン。いや、
マザコンだったな」
「なんだと?」
 少年は無理やりに笑う。


「やーい、やーい。おまえのかーちゃんでー
べーそー」
 佐々木の顔がひきつった。
「お前、マジで殺すぞ」
「いいからさっさと投げろよ」
 佐々木はもうなにも言わなかった。
 高く足を上げて、大きく腕を振る。少年は
そのボールに反応できなかった。投げる姿が
綺麗で、それにみとれているあいだに、ボー
ルが高い音を立てて後ろの壁にぶつかった。


 転がって返っていくボールをグラブでつか
んで、佐々木は言う。
「無駄だよ。帰れ」
 久瀬(本編では少年と表記)は笑う。
「ストライクみっつでワンアウトだろ?」
「三球で終わらせてやる」
「おいおい。野球は九回までだぜ。それまで
どれだけホームランをかっとばせるか、楽し
みだ」
 佐々木はまた、投球のフォームに入る。


「すぐに黙らせてやるよ、嘘つき」

       ※

 どれだけバットを振ったか覚えていない。
 結局、少年のバットは、一度もまともに
ボールをとらえなかった。なんとかかすめて
ファールにできたのが、数度あった程度だ。
 それでも少年はホームランを狙って全力で
バットを振り続けたし、佐々木はボールを投


げ続けた。どちらもアウトカウントなんて考
えていなかった。
 やがて、日が暮れて、佐々木の方が先に地
面に座り込む。それをみて、少年は仰向けに
倒れた。もう限界だった。
 倒れて、空を見上げて、少年は言った。
「なあ。オレたちふたり共、もう嘘をつくの
はやめようぜ」
 ぼそりと、佐々木が言った。
「どうして?」


「たぶん、嘘をつかなかったら、お前にはす
ぐにいっぱい友達ができるよ」
「友達なんか、いらないんだ」
 彼の声は泣いているようだったし、少年も
なんだか泣きたかった。彼と一緒にいると不
思議と泣きたくなった。
 でもがんばって、少年は笑う。
「おいおい、知らないのかよ。メジャーリー
ガー」
 この笑顔は嘘だろうか?


「野球って、ひとりじゃできねぇんだぜ」

  • 最終更新:2014-08-11 05:53:48

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