ある少年の光景1



 ――誕生日は、誰がなんと言おうが幸せな
日なのよ。
 と少年の母親は語った。
 ――一年に一日くらい、悲しいことなんて
なんにも考えないで済む、幸せな日があっ
たっていいでしょう? だから誕生日だけは、
どんな時でもお祝いしないといけないのよ。
 そのころ彼はまだ六歳で、悲しいことなん
て滅多に考えなかった。毎日は当然のように
幸福だった。


 でも彼は、母親の言葉が正しいような気が
して、決して忘れないでいようと決めた。

       ※

 そのころ彼は保育園に通っていた。
 ほんの小さな保育園だ。
 そこで彼は、少し変わった女の子に出会っ
た。なんとなく歩く姿がペンギンのようにみ
えて、少年はその子を、ペンちゃんと呼んで


いた。
 でもその度に、彼女は頬を膨らませて言い
返した。
「わたしは最強の魔女、ライトよ!」
 なんだそれ、と少年は思った。
 そういうごっこ遊びは、保育園では日常的
なことだったけれど、ペンちゃんは心の底か
ら自分を「最強の魔女だ」と信じ込んでいる
ようだった。
 いつまでもそのなりきりを止めなくて、周


りの子供たちも呆れてしまって、やがて彼女
には誰も近づかなくなった。
 それでもペンちゃんは、「最強の魔女」を
止めなかった。
 オモチャのステッキで魔法をかけて、
「さあ、私のいうことをききなさい!」
と無茶な要望を繰り返していた。
「そのおもちゃは私のだから」
「そのお菓子も」
「何か面白いことをやってみせてよ。逆立ち


して、足で拍手して」
 誰にも相手にされないまま、ひとりきり彼
女は魔法を使えない魔女であり続けた。
 ホウキにまたがって、「飛べるの!」とが
むしゃらにジャンプする彼女に、少年は呆れ
ていた。
 でもじっと空を見上げる彼女の顔は、なん
となく悲しそうにみえて、そのことを覚えて
いた。



       ※

「お前、魔女とか辞めろよ」
 と、少年はペンちゃんに声をかけた。
 彼女はいつものように頬を膨らませる。
「なんで? 魔女は、魔女よ」
「でも魔法使えないじゃん」
「使えるもん」
「じゃあ使ってみせろよ」
 ペンちゃんは少年に向かって、オモチャの


ステッキを振りかざす。
「おしりを振りながら歌いなさい!」
 もちろん少年はおしりを振らなかったし、
歌いもしなかった。
 ペンちゃんは涙の浮かんだ目で少年をにら
む。
「今は、ゲートからパワーを供給できてない
だけ」
「ゲートってなんだよ?」
「魔法の世界につながってるゲート。そんな


ことも知らないの?」
「知らないよ」
「私のお母さんとお父さんは、魔法の世界に
いるの。ゲートがひらいたら私は魔法が使え
るようになるし、本当のお母さんとお父さん
が迎えにきてくれるんだから」
「ふーん」
 ペンちゃんはずんずんと、どこかに歩いて
いってしまう。
 その姿をなんとなく見送っていると、すぐ


隣に保育園の先生がきて、しゃがみ込んだ。
「久瀬くんは、あの子と仲良くしてあげて」
 先生は言った。
「あの子、お父さんもお母さんもお仕事が忙
しくて、寂しがってるだけなのよ」
 そういえば、と少年は思い出す。
 ペンちゃんはいつも、遅くまで保育園に
残っている。お父さんも、お母さんも、なか
なか彼女を迎えにこない。



       ※

 少年はなんとなく、ペンちゃんが気になっ
ていた。閉園時間になっても誰も迎えにこな
いペンちゃんが、可哀想だと思った。
 でも少年は、カレンダーをみて少し安心し
てもいた。
 ――もうすぐ、ペンちゃんの誕生日だ。
 なら、大丈夫だ。
 ――誕生日は、誰がなんと言おうが幸せな


日なんだから。
 ペンちゃんのお父さんもお母さんも、すぐ
に迎えにきてくれるはずだ。
 少年はペンちゃんの誕生日を祝うための秘
密道具を用意して、その日を待った。

       ※
 
 でもペンちゃんの誕生日がきても、彼女の
両親は現れなかった。


 彼女はブランコに座り込んで、じっとうつ
むいていた。
 少年は彼女に声をかける。
「もうすぐ、来るよ」
 ペンちゃんは首を振る。
「私の、本当のお母さんとお父さんは、魔
法の世界にいるの。あのゲートが開かないの
がよくないの。本当のお母さんもお父さんも
こっちの世界にはいないんだから、平気」
 ひとりで平気、と彼女は呟いた。



 やがて閉園時間がきて、ペンちゃんはブラ
ンコから立ち上がる。
 そのままどこかに駆け出して、曲がり角の
向こうに消えてしまう。
 ――追いかけなくちゃ。
 と少年は思う。
 魔女ごっこは得意じゃない。そういう遊び
はしたことがない。でも、かくれんぼも、追
いかけっこも得意だ。


 少年は彼女のあとを追った。
 見失っていても彼女がどこにいるのか、な
んとなくわかった。

 ――ほら、やっぱり。
 ペンちゃんは近所の大通りにある、とても
立派な鳥居の片隅に座り込んでいた。
 ――ゲートって、やっぱこれだ。
 前からなんとなく予想がついていた。この
辺りで「ゲート」と呼べそうなものは、この


鳥居だけだったから。
 ペンちゃんは泣いて赤くなった目で、驚い
たように少年を見上げる。
「なによ?」
 少年は笑う。
「ゲートがひらくぜ」
 彼女は後ろの鳥居をみて、それから少年を
にらんだ。
「うそ」
「本当だよ」


 じゃじゃーん、と声を上げて、少年は準備
していた秘密道具をとりだす。
ひげのついたオモチャのメガネだ。前の少
年の誕生日に父親が買ってきて、大笑いした
のを覚えていた。
 少年はそれをつけた。
「だってオレ、魔法にかかったもん」
 ゲートがひらけば、彼女は魔法が使えるの
だ。だから。
「ハッピバースデートゥーユー!」


 少年はおしりを振りながら、全力で歌う。
「ハッピバースデートゥーユー、ハッピバー
スデートゥーユー! ハッピバースデーディ
アひかりー!」
 彼女はペンちゃんじゃなくて、魔女ライト
でもなくて、ひかりというのが本当の名前だ。
 少年は力の限りにおしりを振って、声を枯
らせて全力で歌う。
 とつぜん道端から聞こえる叫び声みたいな
歌に、通行人が怪訝そうな目を向ける。


 ペンちゃんが顔を真っ赤にした。
「ちょっと、やめてよ! 急になに?」
「仕方ないだろ。魔法にかかったんだから」
 ハッピバースデートゥーユー、と少年はま
た歌う。ディアひかり、と叫び声を上げる。
 ペンちゃんも叫んだ。
「やめてってば!」
 人にみつかるから、というよりも、単純に
恥ずかしがっているようだった。彼女はもう
泣き止んでいて、まだおしりを振りながら歌


い続ける少年につかみかかる。
 少年はニッと笑って、ペンちゃんをかわし
て、歌い続ける。

       ※

 そうしてふたりで騒いでいると、やがて、
保育園の先生が走ってきた。
「ちょっと。お迎えがくる前に出ていっちゃ
ダメじゃない」


 いつになく怒った顔だ。
 少年とペンちゃんは、並んで「ごめんなさ
い」と頭を下げる。
 そのまま目を合わせて、ふたりはくすりと
笑った。
 怪訝そうな表情で、先生が言った。
「どうしたの?」
 小さな声で、ペンちゃんが答える。
「魔法をかけられたの」 





  • 最終更新:2014-08-15 03:23:24

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード