グーテンベルクの視点

グーテンベルクの視点

本文


 スタート地点はこの、リブロ福岡天神店の
周辺にしようと決めていた。特別な理由はな
にもない。ただ足しげく通っている店だとい
うだけだ。
 以前から印刷物が好きだ。私自身よくわか
らないが、それは「小説が好き」とも「本が
好き」とも少し違う。フォントや紙、製本方
法などを含めた、ハードウェアとしての印刷
物全般が好きだ。
 私はいつものルートで店内をぐるりとみて

廻って、気になった本の表紙に触れたり、文
字組を確認したりしてから、結局はメモ帳と
ボールペンだけを買った。
 これから、街で矢印を探す予定だ。

      ※

 どうして私がこんなことをしなければいけ
ないのだ、という思いはあった。
 もうすぐ私は聖夜教会という組織を抜ける
ことになっている。――組織? その表現で
正確なのかは、よくわからないが。
 私に合わなければ問題文さえ分からない暗
号を、聖夜教会が今後どう活用するつもりな
のかはよく知らない。断ってもよかったのだ
けど、センセイが「ぜひに」というから引き
受けてしまった。まあ未来のことなんて知っ
たことではない。どこかの誰かが勝手に困れ
ばいい。
 八つ当たりのようにそんなことを考えなが

ら、私はリブロが入っている岩田屋本店を出
た。今日は暖かいなと感じた。

      ※

 街にどれほどの矢印があるものなのか、実
のところ少し不安だったのだけど、あっさり
とひとつ目が見つかった。
 きらめき通り中央交差点を渡って南下し、
警固公園に差し掛かった辺りである。小さな
交番の前に、駐輪場を指し示す看板が出てい
た。青い矢印がついている。
 私はメモ帳を開いて、書き込む。

1、青い矢印(駐輪場)

 うむ。この感じで一〇個ていどの矢印をみ
つければ終了だ。
 と、ほどなく、ふたつ目をみつけた。


2、赤い矢印(専門学校)

 なんだ、意外と簡単ではないか。
 私はきょろきょろと辺りを見回しながら通
りを南下する。警固公園前を通り過ぎた辺り
で、背後を振り返ってみっつ目。

3、黒い矢印(出車口)
 続いて神社の参道に少しだけ足を踏み込ん
でよっつ目。

4、赤い矢印(ちゃぷん)

 すこし表現を遠回しにしてみた。何事であれ
遊び心が重要である。
 さらに南下するとすぐ、幅の広い道路に出
た。右折するつもりだったが、まず左手をみ
てまたみつける。

5、白い矢印(109)
 だんだんメモが雑になっている自覚はあっ
たけれど、まあよい。
 道路をわたると、今度は右手に矢印。交差
点は矢印の宝庫だな、と感じる。

6、白い矢印(青丸)
 ふたつ並んでいるが、これはひとつとして
扱うものとする。と米印で注釈をつけた。
 私は幅の広い道路を西へと進む。途中、向
かい側のうどん屋が出している看板に赤い矢
印があるのをみつけたが、少し悩んでこれは
数には含めないことにする。いつかどこかの
誰かがこの暗号を解くときに、あの看板がそ
のまま残っているとは限らない。私なりの優
しさだ。
 そのまま通りを進み、アップルストアがあ
る交差点でまた矢印。

7、赤い矢印(天神西通り)
 今回のメモは比較的丁寧である。私が辿っ
たルートを教えてあげる意味でも有意義だと
思ったのだ。
 ということで、その矢印がさす通り、私は
再び道路を渡って天神西通りへと進む。
 スタバの手前に、八つ目があった。

8、赤い矢印(食べたい)
 さすがにこれはひどいか? まあ大丈夫だ
ろう、たぶん。もしいつかこの暗号を解こう
とする人がいたとして、その時季が夏ならよ
いなと思う。冬にはあまり食べたくない。
 すぐ先の、一階部分のみ壁がウッド調に
なっているおしゃれな建物がある曲がり角で、
次の矢印を見つける。


9、白い矢印(醤油)
 その矢印は、細い通りの奥を指している。
あまり通ったことのない道だ。私は気まぐれ
に、その通りに入る。
 しばらく進むと、右手に三台の自動販売機
が並んでいた。周囲に矢印がみっつある。
 少し困った。ぜんぶ採用してもいいが、順
序がよくわからない。仕方なく、そのうちの
ひとつだけを選んだ。

10、赤い矢印(場内入場)

 と、自動販売機のすぐ向かいに、奇妙な道
を見つけた。建物の中を貫通するような道だ。
なんだか入りづらい。
 その入り口に、矢印がある。いやそれは矢
印ではないのかもしれないけれど、とりあえ
ず方向はわかる。
 私はそれを採用することにした。


11、白い矢印?(2023)

 まあこれぐらいあればよいだろう。私の矢
印はぜんぶで一一個とする。この周辺の地図
を簡単にメモに書き込んで、私の仕事は終了
だ。
 それはそれとして。
 ――この道、気になるな。
 どこに通じているのだろう?
 好奇心をくすぐられ、私はオレンジ色の照
明に照らされた、トンネル状の道の奥へと進ん
だ。

      ※

 明らかに奇妙だ。
 トンネルを抜けると、左手には何本もの赤
い紐が伸びる、赤い円形の何かがあった。な
んだこれ、オブジェか? 前衛芸術なのか?
 よくわからない恐怖を胸に、さらに先へと
進む。
 妙に古びたコンクリートの階段をみつけ
そこを上った。
 三階まで進むと青い扉が開いている。通
路が奥へと伸びている。床に白いペンキで、
302と書かれている。
 私はその通路を先へと進む。どこへ行こう
というのだ私は。よくわからなかったが。
 やがて通路は突き当たる。ふたつのドアが
あるけれど、さすがにそれをノックしようと
いう気にもなれなかった。私はここで短い冒
険を終えることにする。
 ドアの隣には、無料配布のチラシを置くた
めのスタンドがあった。こんなところまでど
れほどの人が入ってくるというのだろう?
 ――そういえば。
 聖夜教会では、簡単な会報誌を作って配布
しようという話が出ていた。センセイはしば
しば、そういったよくわからないことをした

がるのだ。自分たちを怪しげな集団に見せた
がっている節がある。
 ――ここなら、怪しげな会報誌を置くのに
ぴったりだな。
 もし覚えていたらセンセイに教えてあげよ
う、と思った。


  • 最終更新:2014-07-27 12:25:40

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード